前半と後半で完全に話が変わります。ポスターは後半の絵ですね。さすがロシア発の意外さです。
英語劇ですが、ロシア発のSF映画『ブランデッド(Branded)』(2012)、観ました。名優マックス・フォン・シドーはじめ俳優がかなりハリウッドしていますが、全体的なエキセントリックさがやっぱりロシア映画という感じですね。
米国とロシアの監督が組んで、奇想天外な異色SFサスペンスをつくり上げたということで、観る前も観た後も、特に作品自体には触手が動かなかったんですが、正直、作品のテーマについては、観ながらかなり考えさせられました。
時は近未来。主人公のミーシャ(『戦場のピアニスト』のエド・ストッパード)は、モスクワ切っての売れっ子広告ディレクターで、大衆の心の動きをつかんで戦略を立案する天才。当初は大金持ちになることを目標にその才能を存分に発揮しますが、その過程で、彼が恋人のアビー(リーリー・ソビエスキー)に、自らのその能力の淵源を、レーニンのプロパガンダ広告だと説明するところが意味深長です。
すなわち、資本主義の象徴と考えられがちなマスメディアやマス広告は、実は大衆の意識を操る共産主義の全体主義的思想操作と通底しているというわけです。それで、あたかもかつての国際共産主義運動のように、国境を意に介さない世界企業が、自らの利益のためだけに世界を掌握する過程をためらいもなく正面から描いています。(あくまで作品自体は荒唐無稽なんですが)
実際、レーニンは優れた広告ディレクターであったわけですよね。当時のソ連の、単純明快で扇動的なコピーと強烈なデザインは、今も広告デザインの手本のように考えられているわけです。ロシア人からすれば、それはアイロニカルな誇りなんでしょうね。
しかし、主人公はその活躍の絶頂で、ある事件に巻き込まれ、それを契機に自らの呪われた能力と大衆の心を思い通りに操ることに罪悪感を感じて隠遁生活に入ります。そして後半は、ある啓示を受けることで、今度は自らの能力を使って、その巨大な広告資本主義と対決していく、というSFアクション映画に様変わりします。
どこがSFなのかというと、この時点で彼に備わるオカルティックな力として、広告の中に潜む怪物が実体化して見えてしまうという状況になるわけです。その力の獲得方法が、いきなり魔術じみているわけですが、いずれにせよ、ここから彼はいきなり世界征服をたくらむ悪の勢力に立ち向かう正義の味方となるわけです。
それで、後半は前半とはまったく違う話のように、とっても奇異なシーンが繰り返し現れて、観る者としてはちょっととまどってしまいますが、しかし、実に分かりやすい、まるでウルトラQのような教訓話になるわけですよね。
そこでカネゴンならぬ、人間の欲望を食べて生きる広告のお化けのキャラクターたちがミモノです。さすがに企業の実名は避けていますが、どれがどの企業を表しているかということはよく分かり、観客たちは私たち自身の世界に蠢動するモンスターたちをこの目に見た感覚になってしまいます。
ということで、この映画を観た後には、広告というもの自体に対して、かなり懐疑的になります。もちろん、映画の中の大衆のように私たちがアホではないことを願う思いはありますが、それにしても、大企業を成り立たせるために、大衆の欲望を操るという目的だけで、私たちのイメージが侵食され、コントロールされることは、充分、犯罪状況なのではないか、という思いになることでしょう。
実際、マスプロダクツを成り立たせるためにそこに組み込まれる莫大な広告費と、それら企業同士の競争によって膨れ上がる広告産業は、実際の品物のよしあしとは関係がないため、それこそ実体のないモンスターと同じなのかもしれません。
だから、むしろ法律によって広告競争自体を禁止し、広告費をまったく平等に制限して、製品に関する純粋なデータによる競争だけにすべきじゃないか、という革命的な思想を、この映画のテーマは導き出しているわけです。さすが、歴史をひっくり返す革命を経験した国の発想は違うなあ、ということでしょうか。
ということで、なるほど、このような映画が、かつてのソ連の宗主国であるロシアからこそ出てこなければならない必然性を感じてしまいました。その映像のえげつなさはまさにコメディでありながら、しかし笑えそうで笑えないという意味で、一見の価値ありです。(^^